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宗教のある日常

 先日の学習会で、「対話」というテーマについて深く学び考えることができた。
 日本人はなぜ対話が少ないのか、という問いに対して、様々な意見が出た中で、外国では教会が、多様な他者とのつながりを産み出す一つのコミュニティとして機能している、という話が出た。
 なるほど、その視点は今まで持ったことがなかった。日本では国民のほとんどは、信じる神をもたない、というよりは漠然と神という存在を理解はしていて、クリスマスやお葬式や結婚式なんかではそれぞれ自分の好きなように文化として取り入れているから、信仰するという価値観があまり根付いていない。
 ところが、世界を見渡してみると、多数派は信じる神をもち、生活の中に宗教が当たり前のように溶け込んでいて、誰もそのことを不思議に思わない。一日に5回もお祈りをする時間があって、日の出ている時間は断食をしなければいけなかったり、偶像崇拝が許される宗派とそうではない宗派があって、学校で習うような知識しかないけど、そうした行いが、彼らにとっての当たり前になっている。
 そしてそれは、その文化の中にいなければ、または学ぼうとして学ばなければ、内実として理解することはない。お祈りの場として存在している教会という場所が、彼らにとってどのような場所なのか、教会の中ではどのようなことが行われていて、教会に来ている人たちの関わり方はどのようなものなのか、海外の文化も、日本にいながらにして日本の宗教文化にも余り触れたことがないから、分からない。
 もっというと、文化があるところには、少なからず経済があって、宗教文化がその国々の経済や教育、福祉とどんなつながりがあるのか、とか、人間社会のその実は、その国々によってどんな違いがあるのか、とか、なんかそんなことを、今日の田舎道の帰り道を歩きながら考え耽っていた。

 こうやって考えてみると、日本人でいながら、日本のこともあまり知らない。最近CMで歌舞伎俳優さんが、「昔神社は人が集まる場所だったんだ」って言ってるのを聞いて、今は人は何処に集まっているんだろう、と思った。
 昔は隣の人との距離が近かったのかな。近いって言っても、どのくらい近かったのかな。今はご近所さん、なんてほとんどいないし、隣に住んでいる人のことも知らない。昔は一戸建てがほとんどで、今みたいにアパートやマンションで、生活騒音を立てないように、おとなりさんに迷惑にならないようにしながら暮らしてると、どうしても遠慮しがちな関係になってしまうんじゃないかな。

 どこまでも思考の道は続いてきちゃって、疲れてきたから今回はここでおしまい。

by ragaru | 2017-10-09 13:08 | Soliloquy  

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